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彦士伝 EPISODE1

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本日より数回に分けて、弊社代表:杉岡彦士の生い立ちから起業までのインタビュー記事を公開していきます。

グローバルリンクジャパンや杉岡をご存知の方はもちろん、少しでも興味をお持ちいただけましたら是非ご覧ください。

第一話:幼少期
su1私は東京オリンピックの次の年、昭和40年に奈良県の奈良市で生まれました。
小学校の教師である父と普通の主婦の母、弟の4人家族です。私の家は幼少のころから自由奔放な教育方針で、教師の父からも勉強しろと言われることは一度もありませんでした。宿題だけきちんとやっていれば後は好きにしてていいよと、そういう環境の中で育ったんですね。

そのせいもあってか、幼少のころから好きな所に一人でフラフラと出かけて行く子供でした。
今の時代ではあまりないのかも知れませんが、当時は幼稚園に入る前くらいの年齢であってもひとりで電車に乗り、何駅も離れた祖母の家に行くなんてことはよくありました。

su2 母によると、私の性格は、常に一番でないと気に喰わない性分と聞いています。幼稚園に通うまでは小さな集団の中で遊んでいたので、和気藹々と過ごしていたようですが、幼稚園に通うころから頭角が出てきたようです。
当時私が通ってた幼稚園は1クラス30人ほどの人数がいましたので、当然自分の意見が通らないことも多くなり、そのうち幼稚園に行きたくないと駄々をこねるようになったこともあったようです。

掛布に憧れた少年時代
 小学校に入ってから、野球を始めました。

当時、運動神経はあまり良くなかったのですが、なぜか球技だけは割りと得意だったのです。
それで年上の従兄弟から野球グローブをもらったのをきっかけに、近所やクラスの子達と野球をするようになりました。

su3といっても、最初は近所の公園や田んぼでやるような草野球ばかりしていたのですが、小学校の3−4年生の頃になると少年野球チームに入って本格的に始めました。授業が終わったら毎日のように夜まで野球をやっていたことを今でも鮮明に覚えています。

 そんな野球少年だった私のヒーローは掛布選手でした。
そう、言わずと知れた「ミスタータイガース」、掛布雅之氏です。

まだ彼が阪神タイガースに入団したばかり昭和49年、目立った活躍もしていなかったのですが何故か彼の大ファンでした。
入団3年目くらいからはあの王貞治さんを打率で上回るような活躍をはじめたものですから、熱狂的な阪神ファンの私にとっては神のような存在になっていきました。

当時の私の夢はもちろんプロ野球選手で、いつか掛布のようなプロ野球選手になりたいと本気で思っていましたね。
そのためにもまずは甲子園に出なければ!という強い思いがあったので、あれだけ野球に打ち込めたのかも知れません。

⇛次は「短波ラジオとの出会い」を予定しています。

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